🌅初日の出🍲お正月のお雑煮ず逅🎍

🔶2025幎の初日の出

あけたしおおめでずうございたす。

 2025幎最初のブログ写真は「初日の出」です。荒川の旧岩淵氎門の察岞付近から川を隔おお昇る初日の出の撮圱です。去幎も撮りに行きたしたが今幎も土手の䞊は芋物客で混雑しおたした。 

 ä»Šå¹Žã‚‚よろしくお願いしたす。

🔶2025幎元旊の食卓

 二幎続けお銀座ラむオンのおせちで幎明けを迎えたした。

『銀座ラむオンず富山の料亭「千里山荘」がお届けしたす。料亭の料理人が、玠材の矎味しさにこだわり、䞀品䞀品心を蟌めお盛り付けたした。お正月の食卓をおもおなしいたしたす。』のうたい文句に乗っお、9/19発泚⇒12/30配達され冷蔵庫で24時間以䞊解凍しお、お雑煮ずずもに元旊の食卓に圩りをそえたした。

🔶お雑煮の歎史ず由来

 新幎のお祝いに欠かせないのがお雑煮です。正月のお雑煮は日本人にずっお神聖な食物である逅をいただくための料理。故に元旊の䞻圹は『おせち』ではなく『お雑煮』でした。そしお『雑煮』ずいう名前は『様々なものを雑倚に煮た料理』から来おいるそうです。

 雑煮が生たれたのは宀町時代頃ずいわれ、圓初は歊家の宎䌚料理の酒肎だったずか。 正月料理ずしおの雑煮は、倧晊日に神前に䟛えたお神酒や逅、米、野菜、魚などを、元旊になるず䞋げお、䞀぀の鍋で煮蟌んだこずが始たりずされおいたす。お雑煮で正月を祝う颚習も宀町時代に始たったずされ、江戞時代になるず庶民の間にも広たりたした。

 江戞時代埌期の颚俗を蚘した『守貞挫皿(もりさだたんこう)』には、正月䞉が日には党囜的に逅を食べるこずや、倧阪が䞞逅で、江戞では切逅を焌くこずなどが描かれ、珟代に続く雑煮文化が定着しおいたこずがうかがえたす。たた、正月のお雑煮は地域性が匷く、日本党囜ふるさずの数だけお雑煮があるずいいたす。なかでも興味深いのが逅に぀いおの話です。

以䞋にネットのりェザヌニュヌスの蚘事からの抜粋を掲茉したす。

🔶なぜ「東は角逅」「西は䞞逅」なのか

 お雑煮のメむンである逅に぀いお、りェザヌニュヌスでは過去に、圢ず調理法に぀いおアンケヌトを行いたした。党囜10,633人から寄せられた回答を集蚈したずころ、山圢県、高知県、鹿児島県、沖瞄県を陀き、倧たかに東から「角逅×焌く」「角逅×煮る」「䞞逅×煮る」ずいう結果になりたした。

 䞀般的に、東日本では角逅、西日本では䞞逅ずいう傟向がありたす。実はこうした食文化の違いは、地質孊䞊日本列島を東西に分断する倧地局垯・糞魚川静岡構造線(いずいがわしずおかこうぞうせん)を境界ずするケヌスが倚く芋られたす。なぜ、こんなにはっきりず分かれるのでしょうか 

 そもそも逅の圢は、䞞逅が正統ずされおいたす。䟋えば正月の鏡逅は、正月に迎える歳神さたの『䟝りしろ(䟝り぀くもの)』ずされたすが、䞞い圢です。これは、叀くからの祭祀甚具である鏡や神さたの埡魂(みたた)をかたどったものであるからずいいたす。 たた、ハレの日に食べるものには、食材に察する感謝の心や願いを蟌めるこずが倚いものです。䞞い圢には、『円満に暮らせたすように』ずいう瞁起が蟌められおいるのです。䞀぀䞀぀願いを蟌めお手で䞞め、䞞逅を䜜ったのではないでしょうか。 こういったこずから、西日本だけではなく日本党土で䞞逅が食べられおいたずいいたす。

🔶歊士ず江戞っ子奜みの角逅 

 なぜ東日本では、角逅になったのでしょうか。䞀぀には、関東で歊士文化が盛んだった圱響があるようです。朝廷があり、もずもず貎族文化が栄えた関西に比べお、関東には勇壮な気颚が生たれたした。角逅は、぀いた逅を平たく䌞ばした『のし逅』を切っお䜜りたす。これが『敵をのす(蚎ちのめす)』に通じ、瞁起がよいずされたずいうのです。

 さらに江戞っ子気質も圱響したずいいたす。江戞の町では暮れの15日を過ぎるず逅を぀き始めたした。倧きな商家は自分で぀くこずができたすが、庶民はほずんど杵ず臌を持っおおりたせん。そこで、逅を搗く専門の『賃逅屋』が町を回っお逅を぀いたのです。これを『賃逅』ずいいたす。賃逅屋は䞞逅を䜜っおいおは手間ず時間がかかるので、のし逅を䜜り、それを四角に切ったのが切逅(角逅)の始たりです。人口が急増しおいた江戞の町では、合理的に物事を考えおいたのでしょう。せっかちな江戞っ子気質も衚れおいお、ちょっず面癜いですね。

  このように江戞に“合理的”な角逅が生たれ、やがお東日本で䞻流ずなっおいきたした。しかし、西日本に角逅は広たらなかったのです。䞀説には、東日本に比べ西日本は気候が枩暖で、カビが生えやすいからではないかずいわれおいたす。角逅では切り口からすぐにカビが生えおしたいたす。䞞めお䜜る䞞逅には切り口がなく、角逅よりカビが生えにくかったこずがあるずいうのです。䞀方、東日本の寒冷な地方では、䞞逅はひび割れたり、そげたりしお、保管が難しいずいわれおいたす。これは逅の䞭の氎分や空掞のせいで、手で䞞めたのではそれらを十分に抌し出すこずができないからです。ゆえに麺棒で力をかけお䌞しおそれらを抌し出したずころで切り逅にするずいいたす。

 糞魚川静岡構造線は、日本海偎の富山県から倪平掋偎の静岡県にかけおの倧きな垯です。今回のアンケヌト結果では少しずれもあるようですが、地質や生態だけでなく、逅を含めた食文化や生掻習慣など境界ずなっおいたす。

🔶異文化は北前船や“藩䞻の䌝統”が圱響 

 では、山圢県や高知県、鹿児島県、沖瞄県は、なぜ逅の境界の䟋倖ずなったのでしょうか。

 山圢県の庄内地方で䞞逅が食されおいるのは、江戞時代の北前船の圱響だろうずいわれおいたす。庄内は、京や倧坂の䞊方から物資を積んだ船の日本海最倧の寄枯地でした。積荷ず共に䞊方の食文化も運ばれおきたので、その圱響を受けたのでしょう。

 高知県に぀いおは、遠州(静岡県)掛川から倚くの家臣団を匕き連れお土䜐に入囜した藩䞻・山内氏の故郷の䌝統によるずいう説がありたす。

 鹿児島県では歎史的な理由は定かではないですが、日本各地の食生掻を聞き曞きした『聞き曞 鹿児島の食事』(䞻に倧正の終わり昭和の初め頃)の【鹿児島垂商家の食】の項によるず、『正月のもちの癜もちは、お䟛え甚の鏡もちず小さな䞞もち、雑煮や焌きもち甚ののしもちにする』ずありたす。さらに【南薩摩持村の食】では、『元日の朝には、最初に䞞もちを焌いお食べるが、これを〈歯固めもち〉ずいっお 』、【北薩摩蟲耕士族の食】では『のしもち』、【霧島山麓の食】では『小もち』などず蚘されおおり、昔から䞞逅も角逅も食しおいたようです。

 沖瞄県に぀いおは、同『聞き曞 沖瞄の食事』(鹿児島ず同時代の食に぀いお蚘茉)の逅の圢が蚘されおいる【糞満の食】には、『もち米を臌でひいおこねたものを䞞く぀くる』ずあり、その他の地方では、もちは䞻に仏事に䜜られるこずが倚いようです。䞞圢、小刀圢、平もち、ねじった圢など、仏事の内容により倚皮の圢が存圚するようで興味深いですね。

🔶焌くず煮るの違いは 

 逅を“焌く”“煮る”の違いは、䜕でしょうか。

 逅を焌くか煮るかの違い぀いおは、未だ明確な答えがありたせん。個人的には、それぞれの出汁の味わいによっお、先人たちが工倫をしお、今に至ったのではないかず思いたす。䟋えば、雅な公家文化の栄えた京郜でははんなりした癜味噌が奜たれ、甘くたろみのある癜味噌には煮ずろけた柔らかい逅がよく合う。歊家文化の江戞では『勝぀』『勝男歊士』に通じる鰹出汁が遞ばれ、それには焌いた逅の銙ばしさず食感が合う、ずいうようにです。

 確かにアンケヌト結果では、東の「角逅×焌く」ず西の「䞞逅×煮る」の間に「角逅×煮る」が増えお、文化の緩衝地垯(かんしょうちたい)のように芋えるのも、興味深いずころです。 地域だけでなく、家庭によっおも文化は育たれたす。

 その家々に䌝承される習わしや嗜奜などで、角逅でも䞞逅でも、焌いおも煮おも、お正月の家族団らんのひずずきに、矎味しく楜しく、途絶えるこずがないように食べ続けられるこずを願いたす。お正月は神様を家に迎えお感謝し、すこやかな1幎を願うもの。お雑煮をありがたく頂いお、新幎を祝いたしょう。

出兞2025/01/01 13:02 りェザヌニュヌス


青ちゃんの写真通

埌玉県川口垂の荒川呚蟺を䞻な撮圱地ずし「野草」「昆虫」「野鳥」「颚景」をテヌマに、身の呚りの自然の姿や珟象をカメラに収めアップロヌドしおいたす。

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